プロフィール
takasy 45歳 娘3人の5人家族 大手税理士法人勤務15年⇒異業種へ転職。飛込み営業からコンサルティング・人材教育・採用・マネジメントまで幅広く経験したサラリーマン人生。 今までお会いした経営者は1700人超。今まで退職を決意して見送った上司・同僚・部下人は300人超。会社第一主義で全力疾走してきた。 気付くと40代後半の単身赴任。ようやく大切なことに気付いた。
【やっと気付いた大切なこと】
●時間は有限である ●会社に頼らず稼ぐ力を身につけなくては ●人生を楽しまなくてどうする
これからの20年、楽しみます
田舎者の真面目サラリーマンが、入院をきっかけに
今までの自分の人生を振り返り、何か泣けてきた。。。
残された人生を燃えるような日々にする
毎日もがく様を家族や子たちに伝えようと決めました
突然、右耳が聞こえなくなり入院
出張で飛行機移動
空港を出て仕事場へ向かいました
仕事もひと段落 食事中に
右耳がもうれつに「キーン」となり
何か詰まった感じになった
水抜きのような事を試みたが改善せず
寝て起きればよくなると思い早めの就寝
ずっと、水中にいるような感覚
翌日も改善されず
耳鳴りがひどくなるばかり
ネットで調べると
どうやら早急に耳鼻科に行った方が良いらしい
突発性難聴と診断
右耳の聴力がほとんどないらしく
総合病院へ紹介状⇒即入院
ストレスによる突発性難聴と診断
絶対安静
1週間以内にステロイド治療開始が必須
1週間絶対安静だった
突発性難聴は
1/3が全快、1/3が快方、1/3が聴力回復見込みなしという
結構深刻な病気だった
視力と聴力は人一倍自信があったが
今では、片方の耳が全く聞こえない
やばいな・・・ようやく事の重大さがわかった
病院のベッドで点滴治療をうけながらいろいろ考えた
朝の8時から夜は12時近くまで働く日々
これほどまでに暇を頂いたのは学生以来でした
そして、考えた
これまでのサラリーマン人生について
嫌な思いもたくさんした
本心でない事も仕事と割り切って笑顔で向き合った
パワハラもたくさん受けた
悔し涙も数えきれないほど流した
出世もしたが何回もハシゴ外されたな
学ぶこともたくさんあった
嬉しいこともあった
新卒から16年
なぜ頑張れたのか
耐えることができたのか
気合と根性で頑張れば
耐え忍んでいれば
必ず報われると教わって
それを信じてたから・・・
耐えられたのかな
慎重と言われることが多かったけど
こうして考えると
臆病なだけじゃないかって
会社や組織を信じ
信じて頑張ってきた結果
体調を崩しては元も子もないわけで
いっきに喪失感に襲われた
難聴が良くならないために転院
難聴の名医を頼って東京医科歯科大学へ
鼓室内注射治療(鼓膜よりも奥に注射により投薬のため超ー痛い)開始
治療の結果、高音聴力はスケールアウト
右耳の聴力をほぼ失いました
右から聞こえてた音がなくなると
慣れるまで大変でした
右に座った人の声は聞こえず
電話も左耳に限定され
耳鳴り・めまいもひどく
落ち込む日々
あらゆる治療を受けましたが
改善せずでした
人生初の転職を決意
我慢人生 ⇒ 我慢しない人生へ
転職後も会社のために全力投球
全くの異業種でした
他人や会社に期待して
何とかしてもらえるという
他に依存するのではなく
5年後10年後、自分の足で一歩一歩
歩いている実感を持てるように
恐怖心に負けず、とにかく挑戦してみようと決めました
自分の人生を自分で切り開くって
失敗しながら生きてゆく姿を、娘達に伝えたい
他人と比較して
自分を惨めに感じて
自分の限界を勝手に作って
挑戦する事もせずにあきらめて
失敗してもかまわないから
昨日の自分よりも
少しでも進歩できているようにチャレンジする
毎日の大切な、有限である時間を無駄にする事なく
経験したことのない事に挑戦することは
とても怖い。恐怖しかないよ。
年を重ねると、日に日に保守的になっている気がする
自分を信じてあらゆる事に挑戦してみるからさ
単身赴任で一緒にいる時間も少ないけど
ふつうのオヤジが日々、苦悩し挑戦し続けた事が
娘たちに伝わるように記録していくよ